ファームハウス・コムニタのみかこさんからこんなお話を聞きました。
「池田のおばあちゃんたちは、 寝床は孫にも教えるな って言うんや。」
寝床とは山菜の採れる場所のこと。山菜の採れる場所は孫でも教えてはならないのは何故か。それには、山に入る時の暗黙のルールが関係しているんだとか。
山に入るときの暗黙のルール
・山に入って、ゼンマイが5本生えていたら3本抜いて2本残す。
・山菜をとる時は根まで採らない。
・山菜の根っこは植えて帰る ・・・・などなど
このルールを知らずに山菜を採ってしまうと、山が荒れていく一方だと言います。みかこさんは過去に同じ場所でヨモギを採り続けた結果、年々小さくなっていくのを経験したそうです。孫でも教えてはならない理由は、山のルールを知らずに山に入る人を無くすため。山の資源を守る為なんですね。
(みかこさんが先日山菜採りに出かけた所、ふきのとう、こごみなども小さくなっていたそうです。長年山に入っている方々も口々におかしいと言っているのだとか。温暖化が原因で山菜が小さくなる事も多いにあるようです。)
山を守るために、池田町民がしていることはまだあります。地域ごとの一斉清掃です。
各月決まって朝8:00に、道路を清掃する町民の列を何度も見かけます。
池田町の綺麗な景観があるのは、町民が山や地域を大切に手入れしているからなんですね。
このお話を聞いて、私はふと水仙が浮かびました。水仙も人間の手が入るからこそ、生きていける植物です。
水仙は元々日本にはありませんでした。中国の人が船で日本へ運んできたり、遠くの海から日本に流れ着いたりしたのではないか、と言われています。
どちらの説にしろ、なぜ海岸から離れた池田町にも水仙は生えるようになったのか?
「タネを飛ばして、勝手に生えるようになったんじゃないの?」
と思うかも知れませんが私たちがよく見る水仙は球根で増え、タネは作りません。
「動物が球根を食べ、遠くに移動した時に糞と一緒に排出されて成長した?」
でも、水仙には毒があります。好んで水仙を食べる動物はまずいません。
ということは、池田町に生えているの水仙はすべて人間が植えたことになります。
水仙が日本に到来した安土桃山時代から今に至るまで、どこかのタイミングで池田町に暮らす人々が植えた、と推測できます。(1300年には、池田町に48の村ができていたようです。)
なにもない場所で、ぽつんと咲く水仙も
昔むかしそこに人が住んでいた名残かもしれません。
今私たちが見ている風景も
この地に人が住んできたからこそ見れる景色なんですね。
【参考文献】
財団法人相模市みどりの協会 園芸豆図鑑vol11 水仙 川崎矩夫 2022.4.19閲覧.
https://www.sagamiharashi-machimidori.or.jp/img/uploads/3/suisen.pdf
池田町誌 池田町 1997 第三章各区の歴史(p769-957).
デジタルアーカイブ福井 2022.4.21閲覧.
慶弔時代に書かれた「福井県」の村の地図。
池田町がどこかわかるかな?福井県立図書館では、福井県の昔の資料をデジタル化して誰でも見れるようにしているよ。
コッコ🐔